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2021年5月23日日曜日

\種の保存にあらがうとは…『娘について』/

 LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案を議論した自民党会合で、簗和生・元国土交通政務官(42)が「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」という発言、他異論も相次ぎ了承が見送られた。(朝日新聞5/21

このニュースに血の気が引く、背筋が凍る思いがした。1年延期したオリンピック・パラリンピックで世界の選手を呼ぼうとしている国の実情。しかも42歳という若い世代(問題発言の森喜朗の半分の年齢…)がこの考え方って…レイプによる妊娠まで種の保存として正当化されかねない。いっそのこと全責任負ってほしいぐらいだ。種の保存のためにだけ人は生存するのか?種の保存のためではない行為は人の営みにあらずか?あらがうとは何か?

どうか諦めずに想像をめぐらして、考えてほしい。『娘について』キム・ヘジン (著), 古川 綾子 (翻訳)という本が一助になると思うのでおススメします(届かないと思うけどw)。


(帯より)私の育て方が悪かったんですよね
「普通」の幸せに背を向ける娘にいらだつ「私」。
ありのままの自分を認めてと訴える「娘」と、その「彼女」。
ひりひりするような三人の共同生活に、やがて、いくつかの事件が起こる。

同性愛で高学歴ワーキングプア(大学の非常勤講師)の30代の娘と彼女は住む家がなくなり母の家に転がり込む。早くに夫を亡くし、一人娘を苦労をして育てあげ、せまりくる老いに恐怖を募らせている60代母の独白形式。娘は職場の同僚が同性愛を理由に不当解雇されたことへの抗議活動にも参加している。自分が生きるだけでも精いっぱいなのに、なぜ他人の人生まで背負おうとするのか理解できない。最後まで娘の彼女の名前を呼ぼうとしない、同性愛を認めない。理解できないし、歩み寄ろうともしない母親だけれど、行動が変容していく。介護の職場での不当で杜撰な扱いに静かに、意を決した行動に出る。

自分の子どもが、家族が、大切な人が同性愛だったら、トランスジェンダーだったら…誰もが一度は想像するだろう。私は理解するつもりでいるけれど、理解するなんておこがましいのかもしれない。ここに登場する母親は正直だ。安易に「わかったり」「理解のある」振りはしない。思想も言動も否定的だけれど、行動が生き様が、確実に変容していくのは、よほど誠実だ。

【以下引用】

つまり私の気がかりは、常に死ではなくて生なのだ。生きている間は無限に続く、このよるべなさにどうにかして打ち勝たなければ。私のこの事実を知るのが遅すぎた。もしかすると、これは老いの問題じゃないのかもしれない。よく言われるように、この時代の問題のなのかもしれない。


ずっと昔に私の親が私に言ったような、頑張れ、もっと頑張って努力しろという言葉を娘には言えない。言ってはならない。そういう時代になってしまった。


娘は勉強をしすぎたのかもしれない。学んで、学んで、学ぶ必要のないもの、学んではいけないものまで学んでしまったのだ。


娘のこういう言葉が、たまに脅迫みたく聞こえるのはなぜだろうか。今にも泣きだしそうなあんな表情のほうが、腹を立て、大声を上げるよりもはるかに強力な手段になるのはなぜだろうか。


この子達は博学で洗練されたヤクザなのかもしれない。学校では拳の代わりに、拳よりも強力なものを使う方法を教わったのかもしれない。だから奪われたことにもやられたことにも気づかず、仕方ないと思ってしまう私みたいな被害者が生まれるのだろう。


娘をこの世に連れてきたという事実。それだけで資格が続いていた時代は終わった。今や資格はひっきりなしに更新を要求され、私にはもはや、そんな能力も気力もない。


どうしてよりによって女が好きなのでしょう。他の親は生涯考える理由も必要もない問題を投げつけてきて、どうだ、乗り越えてみろと言わんばかりに迫り、急き立てるのでしょう。どうして自分を産んでくれた私をこれほどまでに悲しませるのでしょう。どうして娘はこんなにむごいのでしょう。どうして自分のお腹から出てきた子どもを恥ずかしく思わなきゃいけないのでしょう。あの子の母親だということを恥じている自分がイヤです。どうして娘は、私に娘を否定させ、自分自身や生きてきた時間のすべてめでを否定させるのでしょう。


娘は死んでしまったと思えば喪失感が、娘は今もどこかで生きていると思えば裏切られたという気持ちが、あるときはどんな感情なのか気づくよりも先に、思いが、考えが、体のあちこちをがんがん殴りながら通り過ぎていった。


どうせだめだ、打つ手がない、私にできることなんてない、そんなふうに諦めようとするのは絶対よくない。それはもっとも安直な方法だから。誰にでもできることだから。私はこのまま帰るつもりはない。それはできない。


誰かの世話をすることの大変さ。自分じゃない誰かの面倒をみることの難しさ。美しく高潔に見えるこういう仕事のひどさや厳しさを、私はもしかすると娘とあの子に教えたかったのかもしれない。あの子たちが本で読んだり、誰かに聴いたりして知るのではなく、実際に経験させようとしているのかもしれない。


十年後、二十年後に、こうやって私の面倒を見てくれと言いたいのではない。自身の老後を、若いうちはどうしても想像できないけれど必ずやってくるそのときを、一度でもいいから考えてもらいたい。今からでも責任と信頼を分かち合えるまともな相手を見つけてもらいたい。私がこの世を去るときに残していくのが心配と憂慮、後悔と恨みのような感情出ないことを願うばかりた。

↑全て母親の独白形式。以下は娘の言葉↓。

「どうして夫や子どもだけが家族になるの?母さん、レインは私の家族よ。友だちなんかじゃない。この7年の間、私たちはほんとの家族みたいに過ごしてきた。家族ってなに?力になって、そばにいて、そういうものじゃない?あの人たちはそういう問いを投げかけただけ。授業中にそういう話をしただけなんだってば。それなのに学校はあの人たちを追い出した。一言の説明もなく、ハエを追い払うように追い出したんだってば!」

「ただあるがままに、そうなんだって受け入れてくれたらだめなの?細かいとこまですべてを理解してくれっ言ってるわけじゃないでしょう。世の中にはいろんな人がいるんでしょ?それぞれの生き方があるんでしょ?人と違うのは悪いことじゃないんでしょ?コレって全部、母さんが言ったことじゃないの?それなのに、どうして私だけがいつも例外なの!」て

「理解する、しないの問題じゃないんです。理解してくれと頼む問題でもないですし。これは権利じゃないですか。誰もが生まれながらに持っているものです。それに私生活と仕事は別でしょう。私の要求って、そんなに大それたものですか?仕事と私生活を区別してくれってこと。講師の基本的な権利を守ってほしいってこと。それって当たり前のことじゃないですか」


 

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